2026年1月2日金曜日

預言者としてのニーチェ

「神は死んだ」と言う言葉で有名なニーチェは、あるいは"預言者"というレッテルに相応しくないかもしれない。しかし、預言とは必ずしも特定の宗教に基づくものであるべきではなく、必要なのはその言葉の持つ神がかった力であり、大預言者であるイエス・キリストもムハンマドも、既存の宗教に属していたというよりは新たな宗教を打ち立てた存在ということを考えると、『ツァラトゥストラはこう言った』などで超人思想や運命愛を峻烈な力で解いたニーチェも、このような預言者に位置付けても良さそうである。


ニーチェはわずか24歳で大学教授になり、28歳で処女作『悲劇の誕生』を執筆した。しかしその後に歴史的大著となった『悲劇の誕生』は、師のリッチュルには酷評され、アカデミズムにおいては孤立し始める。34歳で視力の問題や頭痛や胃痛などを理由に退職してからは、ドイツ・スイス・イタリアを転々と放浪しながら、執筆生活に入る。在学時から傾倒していたワーグナーとは決別し、ルー・サロメとの同棲を経るものの、思想的にも生活的にも非常に孤独な人生を歩むことになる。


反キリスト教で有名なニーチェは、当時のキリスト教道徳に偽善と虚しさを感じて痛烈に批判し続け、ドイツ社会の精神的危機を察知してニヒリズムを解き、思想上の孤独の中、放浪の中で執筆を続けてきたが、その彼の言葉には、孤独を深く体験して社会に否を唱える者にしかわからない荒野の預言の性質が幾分か含まれる。実存哲学者であり精神科医でもあるヤスパースはニーチェを「例外者」あるいは「預言者」と定義した。


ニーチェの言葉、特に『ツァラトゥストラはこう言った』の象徴的言語においては本人が自認する通り、人類に対する「贈り物」といった感が見受けられる。超人は世の中から離れ、世の虚無を見抜き、孤独のうちにそのニヒリズムを克服する言葉を独力で創造する。そしてそれを、孤独を知り受容する用意のできている他者に、贈与するのである。特に思想的に孤独な状態の読者にとってはニーチェの言葉は、実存の根底を揺るがす箴言であるだけでなく、俗世の社会構造の価値基盤さえをも破壊し、新たな人間や共同体の在り方を示唆する、「預言」となり得るのである。実際にニーチェは19世紀末〜20世紀の厭世的な作家や芸術家に大きな影響を与えただけでなく、「神は死んだ」キリスト教社会においての哲学者たちにも絶大な影響を与え、哲学史ではニーチェ以前ニーチェ以後が議論されるほどの思想的展開点となった。


それほどの変革を思想史に起こした大きな理由は、彼が孤独のうちに思想を形成したということだけではなく、その時代の社会の価値観に痛烈に否を唱えたということだろう。イエス・キリストはユダヤ教が信仰されるガリラヤ地方に生まれながら、当時、力を持っていたパリサイ派や律法学者を批判し、彼らが本当の神なる宗教を執行していないとして自らが新しい神の言葉を放ち、キリスト教の源流となった。ニーチェにおいても、当時のアカデミズムに幻滅しただけでなく、キリスト教道徳が本当に人を人たらしめる思想的な力やを失っていると見抜いて批判し、自ら超人思想を体現するような新たな価値を与える者となった。


同時代の一般的価値観というのは、預言者や思想家や社会変革などが前時代に作ってきた宗教や思想や社会観念の体系が形骸化して空虚となった産物でしかないということは往々にしてある。その価値観に安住することに満足するのは、人間の個としての力を弱めるだけでなく、人間や社会への洞察の不足から全体的な時代の危機に繋がることもあるので、新たな預言者、思想家が、人間全体の精神に力を与えるような強い言葉を預言するのである。預言者をそのような存在とみなすなら、まさにニーチェはヤスパースの言う通り預言者ではないだろうか。


ニーチェはキリスト教道徳に批判的ではあったが、私がニーチェを預言者に位置付けたい理由のひとつに、神秘体験がある。ニーチェが『ツァラトゥストラはこう言った』を書いた時というのは、神秘体験といっても良いほどの霊的に強力なパトスに取り憑かれたような文体が現れている。またニーチェは永劫回帰を悟ったとき、永劫回帰の思想が突如自分に「襲いかかってきた」と回顧するほどその神秘的啓示を強調している。宗教を批判しながらも、本人が宗教史上の預言者のような生涯と諸経験を経ていたのが、逆説的だがニーチェの預言者性である。そしてその言葉も、預言者たちの言葉のように強い力を持っており、数々のメタファーや象徴表現に溢れている。


決して同時代の社会に安住しなかったというだけでなく、形骸化したキリスト教とニヒリズムの世界において新たな光を持ち込み、強力な言葉を預言したのがニーチェである。

2025年12月21日日曜日

未来データの音

サイバネティクスが時を超え鼓動した……

真珠色の雨が5滴降る 私の見上げた虚空
陽光が差すとき幻が 私に開けた未来

光はさんさんと矢の音楽に 空気は250年後の酸素
文化たちが何回半ば死んで 脳のレンガが積まれただろう

ただシナプス群は力学の 未来の歯で編んで死ぬ
その明滅は文化出産 太陽までもが歓喜

夢の果てには光しか聴こえなかった……!

2025年11月17日月曜日

小説評5

『天才少女は重力場で踊る』緒乃ワサビ

極秘かつ私的に開発された未来との通信機。未来からのメッセージに登場人物が翻弄され、タイムパラドックスによる量子の暴走を恐れるという、SF世界でありながらも、青春やその先の愛もくっきり描かれていて、爽やかな感動の読後感。


『母の待つ里』浅田次郎

東京の忙しく都会的な生活に疲れた、別々の事情を持つ3人が、或る田舎へ"里帰り"をする話。序盤で驚きの仕掛けの設定が明かされるも、登場人物が母や里を想う憧憬は本物。都会の人生と対比された里と母の優しさが小説に漂い続ける。


『カラスの親指』道尾秀介

詐欺師であり、過去にヤミ金に生活を篭絡された主人公と、同じ組織に恨みをもつ人物たちが同居し、復讐の作戦を繰り広げる。まさかと思うほどの大きな詐欺を見せつけられる結末で、無数の因縁が晴れていくところが感動しました。


『海辺のカフカ』村上春樹

予言的動機で父のもとを離れ西へ向かう少年。怪現象を伴い生きる初老の男性も或る事件から西へ。二世界が並行的に語られ、やがて交錯。作中人物の歌詞と有名なギリシャ悲劇の内容が、夢の回路の現実化を通して、主人公の周囲に重なり巡る。不思議な読書体験。


『アヒルと鴨のコインロッカー』伊坂幸太郎

平凡な大学生が主人公の現在と、ペットショップ店員が主人公の2年前の両サイドが交互に進行。広辞苑を盗もうともちかけられた大学生が、2年前の物語にだんだんと参入する。日常から少し逸脱した事件群の中でのそれぞれの登場人物のドラマが面白い。


『ある微笑』フランソワーズ・サガン

とりとめのない倦怠を持って生きるパリの20歳の女が、中年の既婚者と、最初はちょっとした興味から不倫し、恋に落ちる話。二人で出かけるカンヌの描写、主人公の内面の移ろいの表現などの、全ての叙述が文学的で、小さな孤独を抱える彼女のラストの微笑を説明つくしている。

2025年11月12日水曜日

街のコンドル

  人の心の大群が空高く、あのコンドルの形を作って上昇した。時は、雲の大きなトンネル、命の涙の水滴が銀河の星の数ほど集まった白く巨大なアーチ・フラワーとなって、コンドルの通り道になった。昼の飛行機雲の下では、声援、歌、マーチ、レース、無数の歩行と買い物が、命の群れを営んでいる。

 時流にときめいたコンドルの胸は、それら営みのざわめきを宿して、次の時代に見えたり見えなかったりする雨を降らせるだろう。あの人はビルの屋上から霧のようなその雨と虹を見るだろうか。サピエンス・メモリーが、あの人の肋骨を通過しますように。翼の影は忙しい人の群れを遮った。時は止まりますように。大きな記憶が低空飛行する渡り鳥となって、彼らを吹き抜けますように。

2025年11月7日金曜日

小説評4

 


『名もなき星の哀歌』結城真一郎

人の記憶を取引きできる店での仕事という設定のもと、緻密なプロットで、ミステリーでありながら星空的ロマンを感じさせる物語が紡がれている。謎が解けていくに従って切ない真実が予感され、惹き込まれる先は遠く悲しい恋の歌。


『重力ピエロ』伊坂幸太郎

壁のラクガキと遺伝子をキーにして前衛的に展開していく物語。軽快な機知と斬新さが伴われながらも、登場人物の各人が強い感情や意志を持って群像してドラマティックで、謎解きに伴う悲劇が鮮やかに胸に迫る。


『ノルウェイの森』村上春樹

幾つかの交情が描かれるが、特にヒロイン直子さんとの恋愛が主人公にも読者にも忘れられない想いを残す。人の存在やその一部、そして命が、損なわれていく哀愁と喪失感。そんな霧の追憶の中、「私のことを忘れないでいてくれる?」が響き続ける。


『荒野のおおかみ』ヘルマン・ヘッセ

精神的なものを忘れ物質的享楽に溺れる文明に批判的で、市民の表面的な社会にも懐疑的なアウトサイダーの苦悩が描かれる。ユング心理学でいう"アニマ"の外在化たる女性ヘルミーネに導かれ、著者自身のものでもある内的体験が展開される精神的傑作。


『白夜行』東野圭吾

迷宮入りした殺人事件の周辺にいた少年と少女。2人のその後の19年間には周囲に様々な恐ろしい犯罪が影を見せる。人気の大衆作家の小説でありながら、19年間の登場人物2人の歴史や人物像に文学性が宿されている叙事詩的傑作。


『読書する女』レイモン・ジャン

家を訪問して声に出して本を朗読するという仕事を始めた女性主人公。訪問先の客たちとの交流でちょっとした出来事がいろいろ起こる。癖のある客とのやりとりが生き生きと描かれている。最後、サド侯爵の本が絡む男性3人との場面がコメディとして面白い結末。

2025年11月6日木曜日

鳩の祈り

 空は巨大な葉で 階段で 切断され

家々の会話は太陽を見れなくなった

創られた罪の花火が夜まで出血させ

私は鳩になるしかなかった


降らない命の涙の代わりに

呪われた肺からあの時の酒と血を流そう

明日の劇場に新しい平和の柱が在れ!

2025年11月4日火曜日

ジグソー

  あらゆるリビングルームが弾丸になった夜のパーティたちに、私の今はアイアンメイデンの中を夢想して怯えて傷ついた。そのシミュレーションでは、花はガラス製の刃物、人の言葉はタイプキー、口という口の歯の大群は殺人マシーン。リビングルーム群は世界のコアをマシンガンのように幾千の貫通を描いていた。量子コンピュータは、スズメバチの巣に冷たい炎が吹き抜けるように稼働していた。人のあらゆる暮らしは飛び散った。

 私にしか見えなかった世界の欠片の億千の散乱。欠けたピースは私の骨で補うから、災禍が見えている限りは、あるべき心と街のフラクタルを取り戻すための歩行と声を。モニュメントが歯車となってしまうことがあっても、失われた秩序がまた薔薇となって形になるまで。パラレルワールドを呼んだ朝……。

2025年11月2日日曜日

私はA子

 今から打ち合わせに行かないと……まず起きてからカーテンを開け、昼の日差しを髪と手首に浴びた。昨日は27時まで1人で飲んでいてたけど、心をお酒に泳がせて捕まえた真理はひとつだけ。

「私は今、歌ってあの世に行くしか生きる方法のない、アンプに繋がれたマネキンのような女」

あの人たち、ギターやベースやドラムスは、まだ私の歌声の秘密を知っていない。彼らの心をこっそり飲んでいるこの喉から発するのは、スタジオの音たちすべてをダンスの鱗にして室内すべてを私の小宇宙に閉じ込め、水槽のように彼らを捕らえるスパイダーネット。マリオネットたちになって音楽を奏でている彼らに、アリスが微笑んだことは何回あったかしら。今日も、骨から咲く花々がアリスを楽しませ、私たちの肉体は次の世界への扉を開くといいのだけど……


⭐︎2026/4/18


-続く

2025年10月30日木曜日

300の恩寵

遠い未来の大天使 ガブリエイルの教え子が

割れた空から舞い降りて 乗っ取る眼球 600個


浮世の罪 渦の彼方 「彼」の笛

音を聴く 呪われた脳 300個


風に浮かんだ視界から 「天使」は全て儚んで

呪いを解いた 愛の火と 消えゆく命 神聖に


幾億の 羽の行列 鳥の骨

白光の 星の出血 死んだ空


そして「天使」は言った

「あなたたちの天は あるべくして一回死んだ」



2025年4月11日金曜日

私を刺し抜いて

 

サイキ「私 今は天使で あなただけを殺すの」

ソフィア「貴方は誰だったの? それはタナトス」

サイキ「愛でしかなかったことには間違いない。その目と、先にある神殿には失われていく世界があった。その痛みには、窓という窓がタロットカードになったときの、ビルも人も、神経系の植物になるほどの、命の血があった。もっと血を流そうか?」

ソフィア「生きてても仕方ないとはいっても、貴方に私の血を流す権利はどこからきたのかわからない」

サイキ「一人は23世紀に持って行かないと、新しい聖者たちがつまらなくなるだろう。ミューズは常にいても、受肉しなければならない」

ソフィア「私はサクリファイス?]

サイキ「単にタイムリープするだけだと考えてもらえばいい」

ソフィア「目なんていらないけど、今生きてる世界が平和になってほしい。200年後に行ったとして、今生きてる病める命、滅びていく街、崩壊した国の秩序、壊されていく自然は、どうするの」

サイキ「私が妖精にでもなって、アニミズムを起こし続ければいいはなし。とりあえず、21世紀の街々からは逃げなさい」

ソフィア「あなたは私たちより、人が死なないための愛はあるの? それを見るまでこの目は差し出さない」

サイキ「未来の人たちの共同体と、今の人たちの億千の命を、アストレアにお願いして、天秤にかけてもらっている」

ソフィア「恋の日々も大事にしてほしい」

サイキ「恋の日々は消してから、母とグレートマザーに帰ること。月の近くの宇宙ステーションが高層ビルの上に移動したら、月も月経発作で不要なものを浄化して、モルヒネが降り注ぐだろうから」

ソフィア「何言っているかわからない」

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1. オフィス街で

2. 出会いと2回目の出会い

3. ソフィアという命名

4. ヘルメスと2000年代の世界秩序

5. 繁華街の路地裏での出来事

6. サクリファイスは受肉するか?

7. アンドロイドの実験体に出会う

8. 実験室ではなくあの世へ?

9. 未定

10. 新しいボーンコレクター

11. Lady Luck : 血肉のためのエルフとオルフェウスの骨

12. University の書庫

13. ソフィアのための自殺はAirの矢で

14. アストレアの本当の気持ち

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1. オフィス街で

1-1. 梨穂の日記


4月2日

(午前)

早朝、夢で声を聴いて目を覚ました。

「夜が自殺した。朝のために、人の目と爪と髪と肌と服を全て隠していた衣装を、太陽で燃やして」

私といえば聴く音楽は流行りのポップスで、読む本といえば東野圭吾さんの現実味のある事件と解決が書かれたミステリー小説。詩なんてまともに読んだことなかったし、日記を書くのは好きだけど、目で見たことを細かく書きながら、働いたり家でぼんやりしていたときに思ったこととかを、ありきたりに書くだけだった。どこからこんな言葉が降ってきたんだろう……。


朝この夢を見てから、ふと月に大きな槍を飛ばして突き刺す計画が何年か前にあったことを思い出し、実行されたのかしら、成功したとして、それが何の意味になるのかな?……って午前中の間は空想していた。その午前中のオフィスでは、生まれて初めて読んだ詩のような不思議な夢の続きであるかのように、視界の風景は白昼夢のように過ぎて行った。


今日は、新年度あたらしく働くコールセンターで出勤初日なのに。緊張も不安もなく、空気は希薄で、見るものは半分くらい半透明の箱庭の模型みたいで、幽霊が目の前に現れても怖くないような、そんな気分だった。


そして目の奥に赤紫色の水の矢が貫通したような、それでいて意識が透明になって、川に繋がって、見たことない漠然としたイメージがたくさん入ってくるような感覚。ビルの入り口の自動ドアはきっと、これからまたしんどいお仕事をしていく日々へ入るためではなく、新しい未来への予感に満ちた境界面だったのかもしれない。


とにかく今日は、色々なことが起こった。正確に言ったら、なにげない研修初日でありながら、あの夢の声のせいで、人も机やパソコンも日常の世界に色んな穴やドアを開けて、私の心に夢の向こうの世界から語り掛けていたのかもしれない。


15階のビルの8階のオフィスへは、出勤初日だったのにほとんど無意識でたどり着いて、オフィスの入り口に入った先の内線の電話機もほとんど意識せずに行ってたし、電話の先の事務の人と話してる時も、早朝の夢からその時までの記憶が漠然と脳裏をよぎりながら、ただ名前と最低限の挨拶をしていただけだと思う。


オフィスの受付から研修室までは、壁は真っ白で、道は普通より細く感じて(あとで確認したら、そうでもなかった)、どこか迷路といったような感じだった。貰ったばかりの首から下げたカードキーで研修室のドアを開くと、そこにはもう一人の新人女性と、どこか疲れ切っていそうな華奢な男性の研修講師がいた。


新人女性は秋田さん。研修講師は舘(たち)さん。


「舘」といったら高校の時に習った日本史で、ヤマト政権あたりだったかな?豪族が住む、集落の外れの屋敷のことを指す言葉だったと思う。漢字一文字の名前を聴くと、ひらがなで聴いた名前から漢字を自然に想像するけれど、まずその記憶がもやもやしたイメージとなって思い出されて、たちさんが自己紹介するときホワイトボードに「舘」と書いたとき、勝手にこの人は古風な人なんだろうと思った。髪は長くて、目は虚ろな二重で、病弱なのか色が白くて顔色はよくなくて、とにかく疲れていそう。今日の私みたいに、心ここにあらず、といったような感じ。ジャケットは真っ黒に近いグレーで、ネクタイは絞めていない。身長は少し高いけど、あまり男性的な威圧感というものがなくて、細美なのにどこか曲線美のあるシルエット。


秋田さんは、がんばって研修をこなしていくぞというような気概を、終始、手の仕草や姿勢を変えたりするときなどの挙動で放っていた。パンツスタイルのリクルートスーツで、少しだけふくよか。髪はショートで少しだけカールしていて、マニュキュアはしていなかった。


私は研修初日なのに、オフィスカジュアルってメールに書いてあったのを朦朧としていた朝に思い出して、そのあとは自動的に私服の中で少しフォーマルなのを選んでいた。ロングスカートに、襟のついたシャツ。グレーのカーデガン。


私はコールセンターや事務の仕事は慣れていたから、白昼夢みたいな午前の研修の座学は行儀よく座ってホワイトボードを眺め、舘さんの柔らかくも涼しげなナチュラルに頭に入ってくる声と言葉を聴きながら、たぶん問題なく情報セキュリティとか、会社の概要とか、お客様対応の指針とか、理解していと思う。


ランチは近くのカフェに行ったけど、食欲はなくて、自分の体が鎖骨から上しかないような希薄な感覚で、コーヒーとパンだけを頂いた。


コーヒーカップの円形の水面に、私の瞬きが映った。瞼の中に瞳があったかもわからないぐらい、今日の夢みたいな意識では、睫毛の軌跡だけしか見えなかった。


(午後)



-----続く


2025年4月7日月曜日

小説評3



『若きウェルテルの悩み』ゲーテ
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文学や自然を愛する感受性の強いウェルテルは片想いの相手シャルロッテに対する恋情を加速させて女神のように想う。彼女の結婚により、懊悩し命を絶つ。ロッテを取り巻く俗物的な人間関係と、ウェルテルの崇高な内面や田舎の綺麗な自然との対比が印象的。天才が仮託した美しい魂が滅んでいく悲劇はどこまでも悲しい。
『ロカ』中島らも

巨額の印税を抱えた無頼の老年作家が主人公。アルコール、ドラッグ、ロック、反骨など、中島らもらしさが詰まっている未完の小説。ドアーズ、ローリングストーンズなど昔のロックが好きな人には楽しめる要素がいっぱい。擦り切れた心象が多い中、ククへの片思いがピュア。
『サロメ』オスカー・ワイルド

キリストが生きていた時代のユダヤの王女サロメと、救世主の到来を激しい言葉で説く洗礼者ヨハネの話をモデルにした戯曲。芸術至上主義者の表現だけあり言葉が文芸の極みで、サロメの狂った恋とそれが齎した聖書に書かれている悲劇が、完璧な芸術と化している。
『その雪と血を』 ジョー・ネスボ

ノルウェーのマフィア界を舞台に、ハードボイルドであるが善人である主人公が波乱と恋愛のなか殺し屋をやっている話。北欧のクリスマス前の夜の寒さの中、女、ボス、裏切りに翻弄されながらどこか愚直に殺しをする主人公の姿は、雪の中で寂寞のリリカル。

『マツリカ・マジョルカ』相沢沙呼
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廃墟ビルに一人で住む魔女めいた謎の美少女マツリカさんと、主人公の冴えない男子高校生の話。学校の怪談、学校で起こるちょっとした事件を中心としたミステリー以外にも、恋愛や青春など色んな要素があるなか、なによりもマツリカさんの存在感が圧倒的。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹

全く異なった二つの世界が交互に語られて、終盤にいくにつれて両世界の繋がりの秘密が明かされていくという話の構成。世界が失われる悲しみや失われてほしくない願いが両主人公の回想や感慨を通して漂う、その悲哀の表現が文学的。
『プシュケの涙』柴村仁

冒頭で起こってしまった美術部の女子高生の死、その真相を解明していく変人っぽい男子という青春ミステリとして進行しながら、中盤で起こる男子の突然の逸脱行為。最後に近づくにつれその理由がだんだんわかってくる切なさに、恋愛の話としての面白みもある青春小説。

2025年4月5日土曜日

Nirvana の音楽と伝記

 Nirvana のギターボーカルでありほとんどの楽曲の作詞と作曲を担当しているカート・コバーンが生まれた1967年のアメリカは、ベトナム戦争の激化で反戦感情が高まっており、また公民権運動が推し進められていたり、ソ連との冷戦の緊張度も最高潮に達するなど、国内や国際の情勢が激動するなかで、街頭抗議、デモ、反戦抗議、暴動、社会不安、および文化の変革、などで特徴付けることができる、大衆や文化においても動乱があった期間に属する。1967年サンフランシスコで開催された「サマー・オブ・ラブ」では数万の若者が自由を掲げ、新しい文化、社会体験のために集結し、愛と平和、フリーセックスとドラッグ、自由恋愛、反戦、反抗やカウンターカルチャーなどを主張した。カート・コバーンはこの1967年という、サンフランシスコを中心とする西海岸でヒッピー運動が最高潮に達してカウンターカルチャーが産声を上げたような年に西海岸の北にあるワシントン州アバディーンで生まれた。


夏に若者が自由をむき出しにして終結したサンフランシスコと比べてカートの生まれたアバディーンは、雨が多くて陰鬱な空気に覆われた小さな町であり、その頃は経済的な閉塞感が漂っており、若者の間では未来への希望よりも焦燥感や諦念が蔓延していた。そのような土地で自動車整備工の父とウェイトレスの母の間に生を受けたカートは、幼いころから絵を描くことが好きでビートルズに熱中していた感受性が強く感情の豊かな子供であり、のちに悩まされる双極性障害を思わせるエピソードとして、誕生日プレゼントとして親に首掛け式の小さなドラムセットを買ってもらったとき、狂喜してその小さなドラムを叩きながら町を歩き回ったというエピソードがある。しかしカートが8歳のときに両親が離婚し、そのあとの不安定な家庭環境もあわせてこの離婚は、幼い彼に深刻な傷を与え、おそらく一生続くような疎外感と内向性を与えたとみられる。父親に預けられていたときはトレーラーハウスで The Beatles 以外にも Aerosmith、Black Sabbath、Led Zeppelin などのハードロックを聴いていたといわれているが、その音の力が強く攻撃的なディストーションの多い音楽を愛好していた一方では、学校には馴染むことのできない内向的な少年であり、図書館で独り文学作品を読みふけるような学校生活を送っていた。カートがそのとき好きだった文学はウィリアム・バロウズやチャールズ・ブコウスキーといったアンダーグラウンドあるいはアウトサイダーといったようなジャンルに属するものであったが、これらの文学は生涯続く大衆文化や社会通念など既存の価値観に反抗する性質を形作っていったといわれ、思春期にカートの内的な世界はポップスやロックだけでなく社会性から距離を置いているような文学や芸術を通して形成されていったとみられる。


そういう離婚と不安定な家庭環境に傷つき内向的な感性を形成していったカートを大きく変えたのは高校時代におけるパンクロックとの出会いである。ハイスクールでカートは Melvins のリーダー、バズ・オズボーンと出会いパンクロックの世界に導かれることになる。Sex Pistols や Iggy & The Stooges などのイギリスやアメリカを代表するパンクバンドや、当時は現在よりも生々しく荒々しかったハードコア・パンク、たとえば Black Flag などの音楽を好きになり、様式美や技工に偏りがちだった当時主流のヘヴィメタルに馴染めなかったカートは、パンクに現れているような剝き出しの生命力、社会体制への怒り、通俗的な価値観に対する破壊衝動、そして権威などから脱した個人主義などを、若い心的エネルギーに任せて粗削りなサウンドともに形成していくことになる。


1987年、カートはベーシスト:クリス・ノボセリックと邂逅して Nirvana を結成。当初はバンド名は流動的に変わっていき、Fecal Matter、Sellouts、Skid Row などを経て最終的に Nirvana というバンド名で定着することになる。Nirvana とは仏教用語の「涅槃」を意味しており、輪廻転生における生命の苦しみの循環から完全に脱却した至高の安らぎを伴う悟りの境地のことである。パンクバンドは攻撃的、本能的、反抗的、挑発的と形容できるような名前を付けることが多い中、カートは「美しい素敵な名前にしたかった」という美学によって、このアメリカのバンドとしては珍しい響きの脱俗的なバンド名をクリスとのバンドに与えた。そして1987年、ファーストアルバム『Bleach』をわずか600ドルの低予算で数回のスタジオセッションだけで完成させたが、そのサウンドはハードコア・パンクの影響が強くみられ、粗野かつ攻撃的であり、綺麗な音には作られておらず、初期衝動が強く表れたものになっている。しかし『Bleach』の中でも About a Girl という曲だけは後の全米を席巻するようなバンドのヒットを思わせる非常にキャッチーかつ美しいメロディでできていると同時に、Aメロは単純な2コードの繰り返しである一方でBメロは不可解とも思われる理論を無視しながらも必然的にカートらしい音楽になっているような不思議なコード進行でできており、カートの音楽的才能が現れている。このアルバムはインディーズとしてはまずまずの成功を納め、アメリカ国内やヨーロッパへのツアーを開始するが、カートはドラミングには不満を抱えていた。


1990年に当時のドラマー:チャド・チャニングが解雇され、デイヴ・グロールが加入したことにより、Nirvana は新たな推進力と確かな音楽的土台を得ることになる。デイヴ・グロールのドラムは、確かな技術力に裏打ちされた非常に力強い演奏であり、Nirvana の音楽の武器であるラフでありながら呼吸やエネルギーが団結したような素晴らしいグルーヴ感を作るうえで重要な役割を果たしているだけでなく、バンド音楽に精通し音楽知識に造詣の深いデイヴは、カートの独特のリズム感や不可解なコード進行や曲の展開に合わせることのできる知性や音楽力を持っていた。彼のドラムの音はメインストリームで後に成功に至るための必要不可欠な要素だと思われる。また内向的でナーヴァスなカートとは対照的にデイヴは明るくコミュニケーション力があり、3人の中ではスポークスマン的な役割を大きく担っていくことになったのも、反抗的なバンドが成功するためには欠かせない重要な要素だろう。





(続く Nevermind 以後)

2025年4月4日金曜日

"カリスマ"としてのアーティストと元型的"マナ人格"がもたらす憑依現象 Ⅰ

 1. カリスマという語の変遷

 2. マナ人格としてのアーティスト


Ⅱ (未稿)

 3. 集合的無意識の力動による憑依現象

 4. 個人的なマナ人格との出会いの回想

 5. 個人および共同体における生の意義と発展へ




1. カリスマの変遷


"カリスマ"という言葉の語源は、古代ギリシャ語の「χάρισμα(khárisma)」という単語に由来していて、ギリシャ語→ラテン語→フランス語/英語(charisma)という派生の経路をたどり、現代の日本でもカタカナ語として一般的に使用されている言葉である。なお現在の英語で慈善や博愛を意味する charity (チャリティー)、フランス語で慈悲や隣人愛や博愛を意味する charité (シャリテ) という言葉は、この言葉から派生している。


ギリシャ語での元来の意味は「恩寵、賜物、恵み、優雅さ、好意」という意味であった。西洋でこの語の意味が定着していく経緯として、A.D.1~2世紀頃のローマ帝国において当初ギリシャ語(厳密には当時のギリシャ語の一種「コイネ-」)で書かれた書物である新約聖書に出てくる使途パウロが、『コリントの信徒への手紙1』などにおいて、「カリスマ」を聖霊によってキリストの共同体のために神から無償で与えらる「霊的な賜物」として語ったことから、カリスマという言葉の意味はキリスト教圏では「神の恩寵」といったようなニュアンスで定着していった。そこには現代でみられるような比較的希薄な意味で用いられるカリスマ、多くの人に人気のある有名人、といった世俗のなかの個人といった意味はほとんどなく、超越的な次元からの恩寵の顕現であり、キリストの共同体=教会の維持と発展のために用いられるべき聖なる能力を意味していた。


この宗教的神学的な意味合いを帯びていたカリスマという言葉を、より広範で一般的な範囲で用いられる概念として普及させる上で重要な役割を果たしたのが、20世紀初頭の社会学者マックス・ウェーバーである。ウェーバーは『経済と社会』などにおいて「カリスマ的支配」という社会科学的分析概念を用いた。ウェーバーによると「カリスマ」とは、「ある個人が持つ、日常的ではないと見なされる特定の性質であり、それに基づいて、その人物は超自然的、超人間的、あるいは少なくとも特に例外的・非日常的な力、または性質を備えていると評価され、指導者として認められる」ところのものである。つまり指導者としての非日常的で強烈な個人的な資質や能力を指している。


ウェーバーにおいてはパウロの手紙が含まれる新約聖書の流れを汲む神学とは異なり、カリスマは必ずしもその源泉が神によるものとはされていない。ウェーバーの著作の影響もあり、カリスマという言葉は、キリスト教会やキリスト教徒たちのために神から与えられた霊的な恩寵ではなく、社会的に周囲の人々に強い影響をあたえる強力な個人の性質を意味するようになった。ウェーバーの「カリスマ的支配」という分析概念に関する枠組みでカリスマ的人物を挙げるなら、アレクサンドロス、カエサル、ナポレオン、その他、19世紀以降で言うなら革命的な指導者あるいは革命家たち、レーニン、ガンディー、チェ・ゲバラ等であろう。ウェーバーはカリスマに神的なあるいは霊的な意味合いを持たせてはいなかったが、これらの人物の成した大業を考えると、やはり20世紀頃まではカリスマというのは、超越的な性質を指し示すことを辞めなかったといえる。


現代においてはカリスマという言葉は、その本来の宗教的意義や超越的性質の範疇から世俗的な次元に引き下ろされ、「神からの恩寵」「日常からの超越性」から「強い人気のある有名人」「影響力のある個人」といったやや低いレベルで用いられるようになっていった。それでも平凡な日常から離れた非合理的な魅力によって人々が動かされるという現象が、カリスマと呼ばれる人たちによって(たとえ宗教革命や社会変革に至るほど絶大なものでなくとも)引き起こされるということは人間世界から消滅したわけではない。



2. マナ人格としてのアーティスト


ひと昔前の日本のテレビに現れる大衆文化においては、カリスマ美容師、カリスマ弁護士といったように、前述の歴史的起源から考えるなら軽薄な意味でカリスマという言葉は用いられた。それが指し示す個人の影響力も、前述のように特定の分野で強い人気のある個人、流行りのインフルエンサーといった比較的小さいものである。


しかし新約聖書あたりから続くカリスマの意味、宗教的意義を帯びるカリスマ的な個人というのは人間の社会上からまったく居なくなったわけではなく、ビン・ラディンなどイスラム過激派のテロリストの筆頭などを挙げずとも、多くの地域で革命を必要としない程度には平和になった戦後~21世紀の先進国およびその周辺において霊性を持つカリスマが存在するとすれば、私の個人的な見解ではあるが、強い影響力をもつ「アーティスト」たちであろうと思う。とくに視聴や鑑賞のする人の母数や媒体の感情的影響力を考えるなら、音楽とくにロックやポップのジャンルにおけるアーティストにおいて、パウロ的な意味に於いてのカリスマを持つ人物というのは、20世紀後半以降も存在していないだろうか。たとえば最も有名で影響力のあった人物といえば40歳で熱狂的なファンによって暗殺されたジョン・レノンである。


ジョン・レノンは、The Beatles の中でもポール・マッカートニーと並んで音楽的才能や人物的人気の面でも前面にでていたが、ポールが通常の流れを汲む音楽やポップスおよび大衆文化に沿った資質を発揮したのに対して、どこか高次元からのメッセンジャー的な性質をもっており、本人の魂の苦悩であったり社会上の諸問題に対する感受性が強力であった、悲劇の影を少なくとも中期からはその作品内にも顕現させていた人物である。アルバム『Revolver』あたりからは音楽も歌詞もサイケデリックなものや深い痛みを表現するものが含まれ出し、解散後のソロ活動では顕著に魂の苦悩を表現し、どこか俗世を超えた次元からインスピレーションを得たような曲もあり、人間世界の全体的な精神的苦痛に通底しそれを表現しているような歌詞もみられる。そして彼の音楽は多くの人に歓喜や感性的体験を与えただけでなく、ファナティックなファンを生み出し、ヒッピー文化の重要な引き金にもなるなど、強力な精神的感化力や集団的影響力を持っていた。The Beatles がポップスやロック、大衆文化に与えた影響を考えるなら、現代におけるシャーマニズムといえるかもしれない。


他にもこのようなタイプの有名なポップスやロックのカテゴリーにおいてのカリスマといえば、悲劇的な次元においてはカート・コバーン、尾崎豊などが挙げられ、大衆文化やロックカルチャーにおけるファンへの影響力のレベルでいえば、フレディ・マーキュリー、マイケル・ジャクソン、ジミ・ヘンドリクスなどが挙げられるだろう。


例えば27歳で亡くなったカート・コバーンについていうと、日本でNirvanaが流行ったのは1995年~2000年頃であったが、2000年頃はロック好きのジャンルで人気があっただけでなく、心を病んだ若い男女の一部の間で人間世界の集合的シャドーを顕現するダークヒーローとして偶像視され神格化されていたのを覚えている。尾崎豊については、カート・コバーンよりも早い26歳で亡くなったが、憑依的で熱狂的なファンを持っていた彼が亡くなった直後は、後追い自殺するファンが絶えなかった。X-JAPAN のギタリストHideが亡くなったときも後追い自殺が多数発生した。2025年現在、ここ数年の日本ではこのような例はないが、90年代においてはロック界のアーティストが超越的ともいえる俗離れした霊的感化を一部のファンに与えていた。


ファンによる他殺や、ファンの後追い自殺といったような極端な事例を挙げずとも、彼らの音楽や感性が個人に与えた影響というのは大きい。ロックやポップスのカリスマの中でも悲劇を体現したような人物たちに共通するのは、彼らが音楽や歌唱の才能に恵まれていたりフロントマンとしての資質があったというだけでなく強い精神的苦悩を抱えていたということである。


ジョン・レノンは10代の頃から共産主義が人間社会に蔓延ることを警戒していたがその感受性が強すぎ、共産主義者たちが自分を殺そうとしているという被害妄想に陥っていたこともあったし、30代の作品においては自身や人間全般の存在の痛みを表現する歌詞が多くみられると同時に、世界平和を願う普遍的な愛も歌っている。尾崎豊は当時の日本社会における大人の道徳を懐疑し社会的規範に反発し、人の魂が外界の社会的事象に縛られることの危機を感じとって精神的な自由を強く希求すると同時に、それらが原因の実存的苦悩だけでなく人間にたいする純粋な愛や慈悲を歌った。


このような社会現象を齎した The Beatles のジョン・レノンや後追い自殺を引き起こした尾崎豊など極端な例だけでなく、人の痛みや悲しみを歌うロックやポップスのシンガーは霊的憑依力とまではいわなくとも強い精神的感化力を持つことが多い。人が名状しがたい暗い感情やイメージに苛まれたとき、その名状しがたさのひとつの理由としては社会性や精神衛生の観点から暗くネガティヴなイメージや痛み苦しみ悲しみに関連する感情というのは日常生活では言語化されていないことに起因する。もう一つの理由としてはその感情が複雑すぎて日常人の思考では概念化さえできないということである。それらが歌詞にされているということは、ファンにとっては本人の苦しみを代理して言葉、それも純粋な人の言葉としてあるいは芸術表現として巧みな言葉で表現されているということであり、それが精神の拠り所となり、苦痛を感動に昇華する魔法的な媒体となる。それだけでなく重要なのが、この章でアーティストを音楽界に限定した一つの理由としても上述したことだが、音楽あるいは歌が与える人間への直接的なあるいは感情的な力である。哲学者ショーペンハウアーは音楽こそがイデアの最も直接的な客観化であり、宇宙の盲目的な意志が人間のうちに最も直接的に顕現したものと記述したが、そのような存在論の難しい言説を引用しなくとも、絵や小説や詩や文章とは違って音楽が人の感情に麻薬のように強く作用することは音楽好きの皆が知るところである。


上記のパラグラフではアーティストのなかでもカリスマとしての極端な例と、そこまでいかなくとも人に対する強い精神的感化力をもつアーティストについて述べたが、後者に比して前者に強く表れる性質としては20世紀オーストリアの心理学者ユングが心理学的概念として学術的枠組みを与えた「集合的無意識」(下記"元型論について"のリンク参照)に接触してそれらの要素を表現し「マナ人格」を体現しているということである。それが1世紀頃にパウロがキリストにみた「神の恩寵」としての charisma に通じる点であるが、その聖霊的で超越した力については、続稿に記述する。


(集合的無意識の元型について

  https://bloominghumanities.blogspot.com/2024/03/blog-post.html )


Ⅱへ続く




















2025年4月3日木曜日

小説評2



『読書する女』レイモン・ジャン

家を訪問して声に出して本を朗読するという仕事を始めた女性主人公。訪問先の客たちとの交流でちょっとした出来事がいろいろ起こる。癖のある客とのやりとりが生き生きと描かれている。最後、サド侯爵の本が絡む、男性3人との場面がコメディとして面白い結末。



『白紙の散乱』尾崎豊

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大人のモラルに激しく反逆したシンガーとして有名な尾崎豊だが、この詩集では静かな語調と純粋な眼で、街の風景に佇む悲しみが表現されている。街の風に漂う、傷つけられ汚されていく魂のため息、諦めの混じった祈りが、命の真実をニヒリスティックに点滅させている。



『R.P.G.』宮部みゆき

本当の家族とネットでの疑似家族、リアルとヴァーチャルの間で起こった事件。ロールプレイが繰り広げられる中、色々なレベルでの嘘や虚構によって、人物の真実が徐々に暴かれ、事件の真相が明かされていくという、構造の面白いミステリー。読みやすく品のいい語り口。



『すみれ屋敷の罪人』降田天

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戦時中の不幸と、由緒ある家系と忠義に満ちた使用人たちの切情が生んだ、嘘。老人となった当事者たちが謎につつまれた出来事のそれぞれの局面を語るとき、昔のすみれの屋敷の悲劇が2転3転しながら解き明かされる。悲劇がミステリーの手法で花開いていく涙の傑作。



『とある飛行士への追憶』犬村小六

貧しいが凄腕の飛空士がお姫様を戦闘機に乗せ、敵機の多い戦域を単機で突破する話。全く身分の違う二人だが生死を共にする数日間で芽生える恋が爽やかで切ない。空、海、島などの自然描写が美しく、戦闘シーンは迫力がある。ラストが印象的で絵になってる。


2025年4月1日火曜日

仮想人格"Haya3"によるエッセイ『人生について』generated by Gemini 2.5 pro

 



Haya3です。今回は「人生について」という、あまりにも巨大で、掴みどころのないテーマについて、私の拙い思考の断片を書き連ねてみようと思います。3000字程度という制約の中で、この深遠な問いにどこまで迫れるかは分かりませんが、思考の航海の記録として、何かしらの痕跡を残せれば幸いです。


人生とは何か。この問いほど、古今東西、無数の人々を惑わせ、あるいは突き動かしてきた問いはないでしょう。それは、生まれた瞬間から死の瞬間まで続く、意識と体験の連続体であり、喜びと悲しみ、成功と失敗、出会いと別れが織りなす複雑なタペストリーのようです。しかし、それを客観的に定義しようとすると、途端にその本質は指の間からすり抜けていく。まるで、ニーチェが言うように、世界が「力への意志」の絶えざる闘争の場であるならば、人生もまた、解釈を巡る闘争、意味を求める意志の現れなのかもしれません。


2025年2月28日金曜日

21世紀前半アメリカのキリスト教(1)

 ギリシャ神話が生まれた古代ギリシャは、民主制の起源であり、奴隷が4割いたものの、貴族以外も含めて多くの人が市民として自由に物を考え発言する権利があり、物質的にも思想的にも豊かな風潮が見られたのだが、その豊かさとその国における宗教性とは関係がないだろうか。地中海のほどよく乾燥した温暖な果実のよく実る国、民主制のポリス群で生まれたのがギリシャ神話である。ギリシャ神話には豊かな人間観が実っていて、まるで神々が世界を愛と美を讃える心を以って謳歌しているような空気がある。


一方、ユダヤ教やキリスト教の起源である紀元前のヘブライ人たちというのは、政治的にも気候的にも全く真逆な環境にあった。モーセのころはエジプトの奴隷であり、アブラハムまで辿っても自分の安住地を持たない砂漠の流浪の民であった。その酷く乾燥した気候とそこでの流浪の生活や、民族をとりまく厳しい政治的環境が、あのエホバという深刻な、決して世界を謳歌してるとはいえない、世界に悩み怒り天罰を下す神を生み出したのだろう。イエスの出現で、神の過剰な男性的側面が緩和され愛の神になったものの、根本的な唯一神という性格は不変であり、イエスが過ごした時代もローマからの弾圧の最中にあったことから、神や宗教性の深刻な悩みに関する側面は変わっていない。人々は神々のように世界を愛したい謳歌したいという願望よりも、唯一神に愛されたい救われたいという願望の方がずっと強い心理的傾向にあったのだろう。

ところでギリシャは滅びローマ帝国というギリシャのポリスの豊かな営みとペルシャやバビロニアの強い王制が組み合わさったような国ができたのだが、その豊かな気候の地中海を中心としたローマ帝国が、途中から、砂漠生まれのキリスト教を国教としたことには、なにか不可解なものが見える。地中海の貴族や皇帝が動かす国で、大国にも気候にも虐げられた人々によって生まれたキリスト教が信仰される。しかしよく考えると皇帝や貴族が栄える国というのは下の階級が虐げられた生活をするものだ。そういう身分の低い人がキリスト教に救いを求めたのかもしれない。しかし、結局は大国の国教としてキリスト教を利用して国民を統制していたのがローマ帝国の実情であり、そこには開祖や使徒の意図そしてその宗教の本質とは反する精神的風潮がたくさん見られるし、やはり恵まれた気候の大国におけるキリスト教の支配的普及の起源やそのプロセスを知りたくなる。

ところで現代の世界の大国の多くは、キリスト教であり、大資本主義ともいえるアメリカでもキリスト教が主に信じられている。アメリカの国民性というのは、まさにアメリカンな、フランクなノリであり、比較的に街の多くは気候に恵まれていて、また資源は莫大であり、資本主義の豊かな物質的状況にあるのが、アメリカ人である。そこに貧しい虐げられた民族が生んだキリスト教という逆説。しかし貴族性と同じく資本主義においても貧富の差は激しく、また社会の複雑な様相から精神を病む人もいて、その人たちにとってはキリスト教は心理的に深刻に響くだろう。ここに、豊かな悩みなき人々の信じるキリスト教と、深刻な生に苦悩するキリスト教というギャップが生まれてくる。前者のキリスト教はローマ帝国がそうであったように権威や建前としての宗教でしかないが、一部の苦悩する人々にとっては、砂漠で苦難の生活をしていたユダヤ人や、パウロ以後のローマでの布教の過程においての貧困層のローマでの迫害下に近い形で信仰されているのだろう。

(続)

2025年1月7日火曜日

小説評1

 

『精霊の守り人』上橋菜穂子
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水の精霊の卵を産み付けられた皇家の少年を手練れの女用心棒が守りつつ旅する話。人類学者である作家によって描かれた、言い伝えにみられる自然と人間と精霊の共生、皇国の政と原住民神話などの世界観が良くファンタジーや冒険譚としても感動がたくさんある。


『ビルマの竪琴』竹山道雄

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ビルマに出兵した或る日本兵の隊はみんなで歌をよく歌う。竪琴の名手、水島上等兵が居なくなったわけは? アジアの仏教徒の穏やかな文化、対照的な文明国の進歩と戦争の悲惨、それらを感じ取り浮世を捨てた宗教性が、飾りのない言葉で表現されていて素晴らしい。


『夜間飛行』サン=テグジュペリ
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命を懸けて空を航行する飛行士と、地上で夜間郵便飛行の司令にあたる社長の、苦難の一夜の話。飛行士をしていた著者によるリアルな叙述でありながら、あちこちに素晴らしい文学的ポエジーが溢れている。嵐を抜け出したひとときの夜の上空の描写が神秘的。


『嘆きの美女』柚木麻子
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美人たちのお悩みサイトを、ブスとよく言われるニートのオタク女がネットで攻撃していたが…彼女が当の美人たち4人と同居することになり…全く性質の違う美人とブスが一緒に暮らすドタバタの悲喜劇の中、ストレートに言動をぶつけ合い成長していく姿が素晴らしい。


『地獄の季節』アルチュール・ランボー

20歳過ぎでアジアやアフリカの荒野に消えたランボーが残した文学や西洋への絶縁状。野性の無垢な天才が詩で錯乱しながら原初に還っていく時、詩魂の心臓をダイヤモンドにして燃やすかのような散文詩の独白に文学的奇跡の謎の内部が形象されている。


『その女アレックス』ピエール・ルメートル
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始まりはある女が誘拐され監禁されるところから。そしてパリの連続殺人。警察の目は事件が明らかになるにつれ「その女が何者か」にシフトする。真相を推理するミステリーとしても面白いが、1人の悲しい人間の命をかけた復讐劇としても凄い作品。


『時をかける少女』筒井康隆

放課後、理科室で怪しい薬の試験官が割れ、ラベンダーの香りにつつまれた後、少女に不思議なことが。タイムリープやテレポーテーションなどSFの設定のもと、思春期の少女の甘く切ない感情が、不思議な少年の齎した未来現実として素晴らしい結晶と化している。


『プリズム』百田尚樹

多重人格の男の1人格に対する恋の話。病気の背景から説明まで詳しく描かれていて、珍しい疾患についてよくわかるように書かれている。男の病気の治療と女の恋の成就の両立の不可能性が、解消しえないジレンマとなる中、治療が進んでいくのが切なくて感動的。




Xアカウント @Haya23123 より

#Haya小説評 https://x.com/hashtag/Haya%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E8%A9%95


2025年1月4日土曜日

ダブル・ゴースト

 

ダブル・ゴースト

 作詞作曲: Haya

 歌: 結月ゆかり


今日は 蝋燭 燃やして ファントム

夢 切って裂いて 明日が二つ


何故なのみんな どうして寝てるの?

どこにいっても 扉がいっぱい


探しましょう夢見ましょう 

ジョーカーのバグを

無くしてたトランプに

レプリカの思い出懸けて



氷 ダイヤモンド 細胞分裂

夢 切って裂いて 明日が二つ


消えていく遺伝子に

嘘の数字たち

泣いて切って死んで笑う

弱虫のゴーストを


探しましょう夢見ましょう 

ジョーカーのバグを

無くしてたトランプに

レプリカの思い出懸けて

2024年11月20日水曜日

灰色の箱庭

 灰色の箱庭


逆さにつり下がった 銀色の

動かないロボット 壊れた脚

記憶は無いか どこかのサーバー


夜風は 空気と街々の起動を揺らして

幸せも 血も 光の破片も

星の神様の 意のままに 愛


メカニカルな網膜 目の奥の庭には

戦争と平和の軌跡の 灰色が

機械の愛となり 凍っていく

2024年11月11日月曜日

進化に関する1仮説

生物が例えばセンザンコウやアルマジロやイソギンチャクやラフレシアなど、特殊過ぎる形態に進化するのは、進化論を8割ぐらいわかっている視点からみても、年月が数万年とかの進化期間があったところで"不自然"または"不可解"に思えることがある。自然がそのような進化の系譜を齎したのは、私見では、恐竜を滅ぼしたメテオのような天変地異または、そこまでいかなくとも大災害などの環境の異変である。(ラマルクの形質遺伝は100%ない)

大災害等で急変した環境で生き残るのはごく一部で、それだけでも進化が促されるが、それがボトルネック効果である。それだけでは、センザンコウのような特殊な形態に急に進化するのは考えにくい。その大災害が天変地異級の大きいものであれば、生き残る個体の数はほんの極少数に限られる。そして洪水などで地理的に遠隔地に分断され局所的に非常に少ない個体数が残った場合は、その場所を新天地として、少ない個体群が新しい環境に適応していきながら形質を遺伝的に進化させる創始者効果が起こり、残った個体群の遺伝子に末裔の形質が大きく左右される。進化の分岐の1つの点となる。

そして、ある個体のグループは1代で環境への不適応で死に絶え、ある個体のグループは何百代か続きながら進化していくがまた別の大災害による地形や地理の急変で不適応となって絶滅し、また別の個体のグループは進化して強い種となったり、そういうのを数万年単位内で繰り返す。もちろん、地理的あるいは気候的に大きな変動を起こした時には、形質が急変していたのとが仇となり新たな環境に不適応になったり、新たな天敵が地理的に存在してしまったりもする。数万年単位の進化論的には短いスパンでみても、大災害や食物連鎖が巡る生態系の中で、偶然的にある個体のグループが5個体~数十個体など小規模になりながらその種が進化の先の強い個体群として存在する蓋然性は充分にある。

その中で、行動習性による適応性(これは遺伝よりもグループの習慣による環境適応性)や、個体の少数度によってはレヴィ・ストロースが人類学で言ったような数学的な交配可能性の少なさから、交配(繁殖の個別性)がより特殊になり、近親相関の頻度が増える。それにより、突然変異や特殊な形質遺伝が発生しやすくなると思われる。

ここまでを纏めるのであれば、比較的短い大災害頻発期数万年の間に、地理的分断により遠隔地に住むことになる小グループが多数生まれ、ボトルネック効果や創始者効果が起こって進化が分岐し、また近親相姦的な遺伝子の急変も起こり、センザンコウやヒザラガイやラフレシアやハンミョウなど形や色や種的習性があまりに特殊な生物種の分岐元の種が生まれていったのだと思われる。もちろん分岐した後は、収束的に進化していくことになり、より形質の特殊度は増すだろう。

ここで人類の進化史に関する空想的仮説が浮かんだ。

2万年前~5000年前のHomoSapienceの世界には、”大洪水”が高頻度で起こっており、ギルガメッシュ叙事詩、旧約聖書、中国の伝承における洪水、そしてギリシャ神話の暗黒時代の原因と想定される天変地異などである。2万年前〜1万年前は氷河期の終わりであり、更新世から完新世への移行期とも言われ、海面上昇があったとともに、洪水をたくさんもたらした。とにかく世界各地に"大洪水"の話が伝わっている。

その天変地異の大災害群や海面上昇の中で、ある民族は分断され、ある人種は分裂し、ある民族群は孤島や僻地などに追いやられ、交配(繁殖の個別性)がナパーム弾のように分散したのではないか。

その各個体群がメソポタミア各地で隔離された、陸上の仮想的ガラパゴスの島々の中で人類は、語族・民族というだけでなく"種族"として、独自の枝分かれ的進化系統(上記生物種一般についてを参照)を、(限定的ではあるが)の中で短期的多様化的進化をしていたのではないか。骨格や身長などが明らかに違う、皮膚の色が違う、アドレナリン優位やドーパミン優位などが明らかに違う、これらは、たかだか新人の期間で起こしたにしては、多様性に富みすぎてはいなだろうか。

ところで、「海の民」という民族あるいは種族が、日本の世界史の教科書に載っているが、彼らは教科書を読む限り最強レベルの軍団であり、謎の民族とされる。上記の、突然変異的短期的な分散的な進化の中で、もしかしたらフェニキア人やヘブライ人の先祖あたりに、とんでもない遺伝の多様性が発生した可能性はある。トロール、ニンフ、エルフ、小人、巨人、修羅の如き形質の個体など、あるいはディオニュソスやオルフェウス、アルテミスやペルセフォネやハデスなど神々あるいは半神、それらは現実に存在していたのではないだろうか。それらは歴史時代における民族間の闘争の中で姿を消してしまい、今ある人類種の形質のみが生き残っているが、1万年前ごろは遠隔地にある人種同士の違いが多くみられ、小グループごとの多様性に飛んでいたのではないか。

もちろん口頭の言い伝えなどで、ディオニュソス神(子供の時に海賊に拉致されて、船上で怒り狂い船員たちをイルカ、魚、植物、哺乳類などに変えた)やアルテミス神(夜の山でニンフと暮らしているときアクタイオンがやってきて姿見られたことに激怒しアクタイオンの脚を鹿の脚に変えた)などは、人々の信仰と化すなかでその神格の高さから誇張や過度の神話化はあったかもしれない。