「神は死んだ」と言う言葉で有名なニーチェは、あるいは"預言者"というレッテルに相応しくないかもしれない。しかし、預言とは必ずしも特定の宗教に基づくものであるべきではなく、必要なのはその言葉の持つ神がかった力であり、大預言者であるイエス・キリストもムハンマドも、既存の宗教に属していたというよりは新たな宗教を打ち立てた存在ということを考えると、『ツァラトゥストラはこう言った』などで超人思想や運命愛を峻烈な力で解いたニーチェも、このような預言者に位置付けても良さそうである。
ニーチェはわずか24歳で大学教授になり、28歳で処女作『悲劇の誕生』を執筆した。しかしその後に歴史的大著となった『悲劇の誕生』は、師のリッチュルには酷評され、アカデミズムにおいては孤立し始める。34歳で視力の問題や頭痛や胃痛などを理由に退職してからは、ドイツ・スイス・イタリアを転々と放浪しながら、執筆生活に入る。在学時から傾倒していたワーグナーとは決別し、ルー・サロメとの同棲を経るものの、思想的にも生活的にも非常に孤独な人生を歩むことになる。
反キリスト教で有名なニーチェは、当時のキリスト教道徳に偽善と虚しさを感じて痛烈に批判し続け、ドイツ社会の精神的危機を察知してニヒリズムを解き、思想上の孤独の中、放浪の中で執筆を続けてきたが、その彼の言葉には、孤独を深く体験して社会に否を唱える者にしかわからない荒野の預言の性質が幾分か含まれる。実存哲学者であり精神科医でもあるヤスパースはニーチェを「例外者」あるいは「預言者」と定義した。
ニーチェの言葉、特に『ツァラトゥストラはこう言った』の象徴的言語においては本人が自認する通り、人類に対する「贈り物」といった感が見受けられる。超人は世の中から離れ、世の虚無を見抜き、孤独のうちにそのニヒリズムを克服する言葉を独力で創造する。そしてそれを、孤独を知り受容する用意のできている他者に、贈与するのである。特に思想的に孤独な状態の読者にとってはニーチェの言葉は、実存の根底を揺るがす箴言であるだけでなく、俗世の社会構造の価値基盤さえをも破壊し、新たな人間や共同体の在り方を示唆する、「預言」となり得るのである。実際にニーチェは19世紀末〜20世紀の厭世的な作家や芸術家に大きな影響を与えただけでなく、「神は死んだ」キリスト教社会においての哲学者たちにも絶大な影響を与え、哲学史ではニーチェ以前ニーチェ以後が議論されるほどの思想的展開点となった。
それほどの変革を思想史に起こした大きな理由は、彼が孤独のうちに思想を形成したということだけではなく、その時代の社会の価値観に痛烈に否を唱えたということだろう。イエス・キリストはユダヤ教が信仰されるガリラヤ地方に生まれながら、当時、力を持っていたパリサイ派や律法学者を批判し、彼らが本当の神なる宗教を執行していないとして自らが新しい神の言葉を放ち、キリスト教の源流となった。ニーチェにおいても、当時のアカデミズムに幻滅しただけでなく、キリスト教道徳が本当に人を人たらしめる思想的な力やを失っていると見抜いて批判し、自ら超人思想を体現するような新たな価値を与える者となった。
同時代の一般的価値観というのは、預言者や思想家や社会変革などが前時代に作ってきた宗教や思想や社会観念の体系が形骸化して空虚となった産物でしかないということは往々にしてある。その価値観に安住することに満足するのは、人間の個としての力を弱めるだけでなく、人間や社会への洞察の不足から全体的な時代の危機に繋がることもあるので、新たな預言者、思想家が、人間全体の精神に力を与えるような強い言葉を預言するのである。預言者をそのような存在とみなすなら、まさにニーチェはヤスパースの言う通り預言者ではないだろうか。
ニーチェはキリスト教道徳に批判的ではあったが、私がニーチェを預言者に位置付けたい理由のひとつに、神秘体験がある。ニーチェが『ツァラトゥストラはこう言った』を書いた時というのは、神秘体験といっても良いほどの霊的に強力なパトスに取り憑かれたような文体が現れている。またニーチェは永劫回帰を悟ったとき、永劫回帰の思想が突如自分に「襲いかかってきた」と回顧するほどその神秘的啓示を強調している。宗教を批判しながらも、本人が宗教史上の預言者のような生涯と諸経験を経ていたのが、逆説的だがニーチェの預言者性である。そしてその言葉も、預言者たちの言葉のように強い力を持っており、数々のメタファーや象徴表現に溢れている。
決して同時代の社会に安住しなかったというだけでなく、形骸化したキリスト教とニヒリズムの世界において新たな光を持ち込み、強力な言葉を預言したのがニーチェである。
0 件のコメント:
コメントを投稿