2023年9月25日月曜日

ソクラテスとプラトンの邂逅

 ソクラテスというのは、かなりお喋りで好戦的な議論好きであり、饗宴の席で権威者を相手に飲めば飲むほど饒舌をふるいっていたような人物であったといわれることもある。当時、知者が「言論」を以って国政に参加することができたアテネにおいて、もの知りぶった学者やソフィスト、権威の座に属する者、専門家を相手に、相手が本当の知には至ってないことに気づいてそれを実際に知らしめるために、巧妙に論点を誘導しながらユーモア溢れる知性で議論を加速させて相手を議論で打ち負かせ、本当の知や精神の完成と相手の知識や技術がいかに無縁であるかを、劇的に知らしめてきて、議論に勝った暁には自分の信じる本質的な知を相手に諭してきた。そしてこれが重要なのだが、学者ぶった人には狡猾に食ってかかるものの、まだ教育の過程にある青年たちに対しては奢り高ぶらずに謙虚に自分の無知を装って見せて、若く無教養な青年が立脚しているところのものの知識のない地平に、自ら身を置き、青年と同じように考えながら、針金が糸を導くように、密接に心理も理性も絡ませながら議論を進め青年たちを教育していった。この青年たちと同じ地点に立脚しながら話を進めるという点と、権威を持つ者や学者・専門家を打ち負かすという点により、政治的野望を持っていたり反抗期であったり当時の知者たちに懐疑をもっていたりする若い青年たちから熱烈な支持を受け、何人かの弟子ができた。


そのうちの一人がかの偉大なるプラトンである。しかしプラトンというのは議論好きでおしゃべり好きなユーモアに飛んだソクラテスとは違い、本質的には学者肌の天性をもっていて、おそらく行動や議論で哲学の本来的なあり方を示したソクラテスとは違い、知の総合や体系化や著作化を希求する性質を多分に持っていた。ソクラテスというのは文字化され本にされた言葉を、誤解を生むという理由などで、忌み嫌っていた人物で、その場限りの現在進行形の口頭の言葉の投げ掛け合いを重要視していたし、当時のアテネの自然学に限界を感じ本当に専門家が物事の摂理を解っているのかを懐疑した。とにかくリアルタイムの議論を愛し、体系化され著作化された言葉を嫌っていた。一方でプラトンというのは、まさにギリシャ哲学であったり、その他も社会や政治のあり方であったりを、膨大な量の著作によって、現代まで続く人類の歴史に残した著述家であった。だが、それが対話編がほとんどを成していることを考えると、ソクラテスの強い影響下にあったことが伺えるし、なによりもプラトンの著作の主人公にはソクラテスが多い。知性の性質が多分に外交的で刹那的であったソクラテスに対し、プラトンは著作に生涯を費やしたこと以外にも、著作内容にイデアという永遠に普遍的なものが見られるように、プラトンの知性には内向的であり体系性や普遍性や超時間性が見られる。


真理を本当の意味において追求するという点を除けば二人は全く違う性質を持っていたのだが、プラトンはソクラテスにおいての何よりも人格やカリスマに傾倒し、おそらく総合的知力という面においては自分よりも劣るかもしれない師を、こよなく尊敬し続けた。ソクラテスの人間的カリスマとプラトンの圧倒的知力、前者の現場における逆説的な巧妙な議論の進め方と、後者の正しい知の総体を綜合して永遠に後代に残したいという願望は、対象的であるが、こういう真逆のタイプが師弟関係にあったからこそ、二人の哲学が今尚、輝かしく残っているのであろう。プラトンがいないソクラテスは実在不明の伝説として影を薄めていただろうし、ソクラテスがいないプラトンを想像してみると、ソクラテス以前のギリシャ哲学のように、対話編のない哲学体系としてギリシャ哲学の単なる一派としてそれほど大きな成果はあげていなかっただろう。


ファラデーは物理現象に対する時空的直観によって具体的に電気や磁力が空間に及ぼす作用を把握していたが数学的記述は苦手としていたようで、数学に長けた理論物理学者マックスウェルとの協働によって19世紀の物理学の主要な功績の一つである電磁場理論の学説を打ち立てた。ルナンによるとイエス・キリストは洗礼者ヨハネによって洗礼を受けただけでなく、その語り方を学んだといわれているが、洗礼者ヨハネと出会わなかったイエス・キリストを想定すれば、語り方を知らない宗教的奇人として単なる奇人伝に列せられていたのではないか、という考えもあり得ることである。このように、偉大だが性質の違う二人の邂逅というのは、歴史や学術史に大きな足跡を残すものだ。

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