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2024年2月17日土曜日

記憶の場所

10年以上前に書いた英作文です。考え方や文法に間違いが存在する可能性が高いです。

 (The followings are not based on firm evidences but a result of my intuition.)

(And I'm sorry that my English is sometimes wrong or too poor to describe abstract affairs such as the followings.)

(Here I mean by the word Memory not memorizing but memorized contents.)

Generally, scientists and modern people under their theories think of Memories as contents being stored in each Brain, but I don't think that. I think, though a brain have the function of taking in the images of things which the nervous system perceived and the function of recalling these images, it don't mean having the function of a storehouse. Likening memories into water, a brain have roles of watercourses and valves but don't have the function of a water tank.


Well then, Where are memories stored. But there is a nonsense in this question. That is the fact that we apply memories to the concept "where" Naturally, and Actually memories have no places in the sense of our ordinary thinking. And our tendency to allot memories to Place, Brain the firm material realm, is involuntary wrong application due to the fact that we live experiencing the three-dimensional space ordinarily, that is our unconsciously confusing spirit with matter, I suspect.


Fundamentally speaking, regarding three-dimensional space, it have not been varified perfectly as actual existence, or some people say that it is no more than a tool or a concept through which we human beings feel the outer world. Adopting this theory here, three-dimensional space is the concept which spirit invented for life to live in this world conveniently. By the way, Memory is a such thing that is more fundamental and essential than a tool to live, I think. That is to say, memory is not a thing that spirit have invented but the tracks of spirit itself, process of life. Then returning to the earlier problem, applying perfectly the concept, that is no more than a tool to grasp, to memory, that is essential movement and tracks of spirit itself, is obviously false if we think that way. To say, memories don't exist in a brain that is physical and three-dimensional space. Spatial places don't correspond to memory, but memory exist at a Place which we are hard to call as Place. Boldly speaking, even if a brain vanish, it can be possible for memories to exist Somewhere. Merely, it is difficult to indicate the Somewhere by a clear concept of Place, which is often haunted by three-dimensional space. Anyway, if only we separate memory from the physical concept, three-dimensional space, it is obvious to us that memory exist somewhere but the brain.


一般的に、科学者やその理論の影響下にある現代人にとって、記憶は脳に保存されていると見なされているが、私はそうではないと思っている。思うに、脳は神経系が知覚した事象の印象を取り込む機能や、その印象を思い出す機能は持っているが、記憶の保存庫としての機能は持っていない。記憶を水に喩えるなら、脳は水路やバルブの役割を持っていても、貯水の機能は持っていない。


では記憶は何処に保存されているのか。しかしこの問いには一つのナンセンスが含まれている。すなわち、記憶に「何処」という概念をあたりまえに当てはめてしまっているということであり、実際のところは記憶には私たちが一般に思っている様な意味での場所など存在しなく、私たちが記憶に対して、場所、脳という確固たる物質的領域をあてがいたくなるのは、私たちが日常で三次元空間を体験しながら生きていることに依る無意識の間違った適用であり、精神と物質の無意識的な混同なのではないのだろうか。


もともと、三次元空間だって、それが確固たる実在として完璧には立証されていない、いわば人間が外界を感じるときのための道具や概念でしかないという説もよく見受けられる。その説を採用して、三次元空間も生命が世界を便利に生きるために精神が開発したものでしかないとしよう。ところで、記憶というのは、生存のための道具というよりも、もっと根源的で本質的なものではないだろうか、すなわち精神が開発したものではなく、精神の軌跡そのものなの、生命の過程そのものなのだ。そこでさっきの問題に立ち返ってみると、精神の本質的運動そのものとその過程である記憶に、精神が生み出した単に生存のための一種の捉え方でしかない三次元空間という概念を、ぴったり当てはめることは、こう考えてみると明らかな誤謬になる。すなわち記憶は脳という物的三次元空間には存在しない。空間的な場所が対応しているのではなく、場所とは呼びにくい場所に存在している。大胆に言ってしまえば、脳が消滅したとしても、記憶は何処かにある可能性がある。ただ、その何処かというのが、はっきりとした場所という概念で示しにくい。場所という概念には三次元空間という概念が普通はよくつきまとっているから。とにかく、記憶を三次元空間という物的概念から引き離せば、その場所は脳ではない何処かだということは明らかだろう。

2023年10月9日月曜日

メタファー的世界観

 冬のある日、幼い子供が、降ってくる雪をみて、雪を「ちょうちょ」と表現したとしたら、これは一種のメタファーであるといえる。


フロベールは弟子のモーパッサンに「世界には一つとして同じ木、同じ石はない」と教えた。具体的な個々の雪は、大きさも、色も、それを構成する結晶の形も光の反射の具合も、他の個々の雪とは同じものは一つとしてない。その全て違うたくさんの個々の雪を人間が観察していく過程で、類似のあるいは共通の性質だけが抽象されて、細かい相違点は切り捨てられ、一般的抽象概念としての雪ができる。前人間的に雪という抽象概念があって二次的に個々の雪があるのではなく、たくさんの個々の雪をたくさん人間が見て知ることによって、人間は個々の雪を抽象しながら雪に対しての、ニーチェ風に言えば一般的な遠近法(=perspective 以下、perspective のことを遠近法と記すことにする)を"創出し"、そうやってはじめて抽象概念としての雪ができあがった。ところで先ほどの子供の雪の形容において、ある雪を「ちょうちょ」と表現するときも、実は原理的にはまったく同じようなことがおこっているのである。


「多種多様な物事の中から、類似している点をとりあげ、類似していない点を捨てることによって概念がしだいに形成されて来るかぎり、比喩がその基盤になっている。」(ショーペンハウアー)


つまり、雪と蝶の性質の類似点(例えば、宙を舞うものという性質)を、子供が見つけ出し、雪のことを蝶と表現した。これは子供が創出した一つの遠近法、解釈法である。この場合の過程では「その子供が見た雪」と「蝶」という"二つの"ものの類似点が見つけ出されて子供は雪を蝶と表現したことになる。一夫、抽象的な概念としての雪は、"無数の"個々の雪の類似点が探され相違点が捨てられて、一つの遠近法として出来上がる。原理的には同じことが起こっているのである。


雪のような物的なものに関してでなくても一般的に認識や感覚や心理に関しての概念も同じく、そのようなことがいえる。たとえば「悲しみ」にもいろいろなものがあってどれ一つとして全く同じ悲しみはないが、似たような感情を集め抽象していくことによって、「悲しみ」という名詞が対応する一つの概念に統一される。白い猫と黒い猫は見た目として異なるが、「猫」という抽象概念によって「猫」という同じ名前が与えられる。「白い」という形容詞も、いろいろな個々の白い印象が抽象されてはじめて、できた概念に名付けられた言葉である。概念や名辞は、さきほどの子供の雪の形容やショーペンハウアーの引用文を考えるなら、大量のメタファー作業、つまり類似点を抜き出し相違点を無視する抽象の作業によって出来たものであるといえる。

2023年10月6日金曜日

集約としての抽象概念の効能

哲学には抽象的な言葉がよく出てくる。企業においては、「抽象的」というのは「曖昧」「漠然としている」といった意味でネガティブな意味で使われることも多い。では、哲学というのは曖昧なものなのか。決してそうではなく、非常に厳密な思考が要求される分野である。抽象的思考に慣れていない、あるいは抽象とは何なのかを一切考えたことのないような、庶民的な尺度から見ると抽象概念は曖昧に思えるだけであって、抽象が意味するところは決して曖昧とか漠然という様態ではなく、元来意味するところは「様々な具体から共通点を抜き出すこと」である。


Wikipedia「抽象化」によると

「思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は捨て去る方法である。」


『心理学辞典』によると

「個々の事物に含まれている諸特性のうち,ある規準に関して共通するいくつかの特性だけが抽象された結果として形成される心的過程」


たとえば、「犬」「猫」「ネズミ」「熊」の上位概念は「哺乳類」であり、それは犬、猫、ネズミ、ゾウ、熊の共通点を抜き出して纏めてられた概念であるといえる。生物学においてはもちろん、この概念を形成するにあたって、無数の具体的な動物への観察や解剖などが為されるのであるが、それは生物学という学問を成立させるにあたって取られた科学的手法であって、一般の子供が「哺乳類」という概念を哺乳類という言葉を知らずとも自然に脳内に形成する過程は、抽象である。哺乳類より上位概念にあたる「動物」に含まれるところの、目、口があり、動き、食べるなどの特徴に照らし合わせて対象の哺乳類の具体例をとらえつつ、哺乳類を他の動物と分かつ特徴であるところの、四本の手足があり、毛があって、体温が高い、などを見分け、次第に哺乳類という概念が子供の中に形成される。この過程は抽象である。抽象という行為は子供も当たり前に行っていることであり、物事を曖昧にするのではなく、むしろ物事を明確にカテゴライズすることにつながる思考方法である。


抽象概念が曖昧だと思われるのは、抽象概念そのものの性質によるのではなく、抽象概念にあまり親しんでいない人たちがそれを適切に理解できないことからくる受け手側の知力の欠如、あるいは本来具体例を出すべき状況や文脈において一般例やその性質を挙げてしまう使い手の語法の不適切さから来ているものであり、前述のように本来は抽象という行為には、多様な事象が膨大な量で動きながら存在している人間界・自然界における事象群を明確にカテゴライズする効果がある。


この抽象の過程で、個々の事物や物事に含まれる諸性質の共通点が抜き出され、より抽象的な概念が形作られていくわけであるが、それはつまり裏返せば、抽象概念は数多くの個々の事物に当てはまる性質を述べている、ということを意味している。

2023年10月4日水曜日

ショーペンハウアーにおける他学派排斥の理由

  ショーペンハウアーは、同時代の哲学、具体的にいうとフィヒテ、シェリング、ヘーゲルの哲学に対しては、極めて批判的だったことで有名で、特にヘーゲルの哲学、というかヘーゲル自身に対しては、ほとんどどの著作でも酷評、それも、「真のペテン師」「言葉のがらくた」「精神病院」のような暴言をつかって下ろすような揶揄を、言葉を変えながら徹底的に繰り返している。引用しておくと

「初々しい若い時に、無意味なヘーゲル流の哲学によって、首筋を違えて腐った頭は、……早くからまったく空っぽな言葉のがらくたを、哲学的思想とみなすようになる。」

(『意志と表象としての世界』・第二版への序文)

「さてもし、……あのいわゆるヘーゲルの奴の哲学は、膨大な量のごまかしを述べ、あらゆる知力を麻痺させ、あらゆる真の思考を止めさせ、言語をまったく不法に誤って用いることによって、完全に空虚で、意味を欠き、無思慮な、それゆえその結果が示しているように、まったく人を愚かにする、言葉のがらくたからなる似非哲学であると私が言うとすると、私は全く正しいというべきである。……さらにヘーゲルは、彼以前の誰とも違って、無意味なことを殴り書きしたのであり、そのためあたかも自分が精神病院にいるように感じないで、ヘーゲルが最も賞賛を受けている、例の『精神現象学』を読むことができる人は、精神病院に入院する資格があると私がさらに言うならば、同じように私は正しいというべきであろう。」

(『倫理学の二つの根本問題』)


このようにショーペンハウアーは、かなり感情的になってまでヘーゲルを攻撃している。もちろん多少行き過ぎている感も受けるが、ショーペンハウアーのような本気で自分が正しいと確信する世界観を打ち出そうとする哲学者というのは、世界の本質的な考察に関しては、真剣で、本気で世界の謎を解明しようと試み、その試みから得られたものを、人に述べ伝え、教えたい、そういう強い欲求を持っているのであって、自分が本質的でないと思った学派の哲学が一般に流布してしまうのは、哲学者自身にとっては、個人的に屈辱的であるだけでなく、後代の人が世界の本質に関して多大な誤解を引き継いでしまうという人類の知性に関する大きな懸念を催してしまうのである。自分はそれほどヘーゲルの哲学にはなじんでいなくて他の哲学者の著作から伺えるヘーゲル哲学を一部知っているだけなので、もちろん個人的にヘーゲルを批判したいわけでもショーペンハウアーを擁護したいわけでもないが、とにかく、ショーペンハウアーが、同時代の哲学をこれほどまでにこき下ろしたのは、彼がどれだけ哲学に対して真剣であったかを示すものであると思っている。単に仕事柄から哲学に取り込む、あるいは趣味として哲学をする、のではなく、強い信念を持って宇宙や生命の謎に答えを与えようと真剣に苦悩する、そういう哲学者は、自分が間違っていると判断した学説に対しては、真剣に戦いを挑むのである。


そしてショーペンハウアーは、哲学というのがそうあるべきものだと考えている。引用すると

「……詩人の作品は妨げあうことなく、すべて相並んで共存しうるばかりか、それらのうちでもっとも異質的な作品でさえ、同一の精神によってひとしく享受され鑑賞されることができるのに、これに対して哲学者の体系は、それぞれ生まれ出るやいなや、あたかも即位式当日のアジアのスルタンのように、はやくもそのすべての兄弟達の没落を担っているのである。……詩人たちの作品は子羊たちのように、柔和に相並んで生をたのしんでいるのに、哲学上の著作は生まれつきの猛獣であり、……そして今に至るまで、……すべてが互いに力尽きるまで激戦し合っているのである。……なぜなら、……哲学者の著作は、読者の考えをすっかり覆そうとするのであり、読者がこの種のものに関して今まで学び信じてきた一切のものをみずからの誤謬とし、それに費やしてきた時間と労力を無駄と断じ、そしてはじめから出直すことを求める。……」

(『哲学とその方法について』4)

2023年10月3日火曜日

哲学者による言語批判

 ニーチェとウィトゲンシュタインは、カントとヘーゲルを中心とするドイツ観念論だけでなく、ソクラテス・プラトンに始まる西洋哲学全般を批判した。ニーチェもウィトゲンシュタインも、あらゆる「形而上学」やそこで行われる「言語」使用を批判したのだが、その批判はまったく別の側面から為され、言語が価値を持つ尺度についての考えも、二人で全く違うものとなっている。


ニーチェがウィトゲンシュタインに影響を与えた形跡はあまりないようには思われるが、二人ともショーペンハウアーから別様ではあるが多大な影響を受けていることは確かである。ショーペンハウアーは哲学における言語使用の批判の先駆者であった。ショーペンハウアーは空虚な擬似概念が記号化されたにすぎないような一部の哲学における言語使用への批判を、とくにヘーゲルやその影響下の哲学者たちに対して行った。


ニーチェとウィトゲンシュタインは全く別の哲学を行ったが、共通点としては、二人とも最終的には「意志としての世界」「物自体」を認めず「表象としての世界」「現象」のみを認めた、少なくとも前者の言語化は認めず、後者の言語化を認めたということである。また二人とも、あらゆる現象に何らの必然性や因果性を認めず、すべての現象は偶然の産物であり、後に人間の理性のうちで因果性が与えられているにすぎない、と見做している点や、経験的な世界では一切の先験的なものは存在しないという点などでも共通している。


もちろん相違点もたくさんあり、哲学や日常における言語批判において、二人の考えのそれぞれの特徴や違いを考える。ウィトゲンシュタインは、言語の限界というのを設定し、言語の限界を超えるあらゆる言説は無意味であり、哲学的思弁の多くは言語の領域を超えてしまっていると批判する。ウィトゲンシュタインにとって言語が明確に表現できる領域とは、事実や経験に基づいているもののみであり、よって言語使用は自然科学的である限りにおいて有意味である。ウィトゲンシュタインによれば、「善」「美」「生」などのような、事実や経験から導かれる事象ではなく世界に関する包括的な観念といえるものについて、言葉で語るのは不可能であり、だから、それらについて哲学的に議論するのは空虚でしかない。哲学者達の言葉とは、言語の使用できる限界を超えたものについて饒舌を奮っているにすぎず、言語の誤用から生まれたものでしかないと言うのである。価値や倫理のような非経験的非事実的な命題に関しては、言葉で語ることはできない。実践や具体例によってのみ示される。カントは理性の限界を示し、物自体の世界については人間の認識は届き得ないとしたが、ウィトゲンシュタインにとっては、そのカントの言説ですら、言葉の限界を超えた饒舌にすぎないのである。物自体という超越的なものや、理性の先験的な性質を設定して、たとえ物自体が認識できないという理性の限界を示したとしても、それらの設定やその説明を基にして哲学を論じている時点で、それは、経験的ではなく、よってそれらの命題は言葉で表現したところで意味はないと言うのである。

2023年9月26日火曜日

認識論としての力への意志

 認識論としての力への意志


ニーチェは痛烈なまでに価値評価や人間洞察に長けた、それまでの哲学者にはない類型の、主に価値論を熱心に追求し、そしてなによりもその価値論の尋常ならざる文芸で文体化することの天稟を持ち合わせ、それを自分の天来の仕事とした哲学者ではあったが、それと同時にずば抜けた哲学的直観によって見通された人間の思考素子ともいうべきレベルにおいての認識論を説いた哲学者でもあった。主にショーペンハウアーを信望していた初期の認識論、そして中期の全てはメタファーであり真理さえも存在しないと説いた中期の認識論、後期の究極の意味での遠近法主義へと傾いていった結露である『力への意志』に至るまでの認識論へと、彼の認知は変遷していっているが、ここでは後期の『力への意志』に収録されている晩年に近いニーチェの認識論を取り扱い、できることなら纏めてみたい。しかしこれはニーチェ自身でさえ纏めきれていない断章からなるものなので困難を極めるだろうと思う。その前に断らなければならないが、『力への意志』というのはこの語感からして価値論的意味合いが強そうにみえるものだが、実質その根本にあるのはニーチェが認知した世界や思考主体の構造や関係性であり、つまり哲学の分野では価値論より認識論に寄った傾向の強い文献であり、その認識論の体系の土台に立脚して初めて価値や倫理の意味合いが考察され描写され訴えられているのが実質的な執筆の軌跡であろうと思う。どうにせよニーチェの場合は認識論があって価値論という順列ではなくほぼ同時と言っていいほど両者の思考分野が直結しているのではあるが。とにかくここでは認識論としての力への意志の世界認知について述べたい。

2023年9月25日月曜日

ニーチェのメタファーと遠近法

 「ニイチェだけに限らない、俺はすべての強力な思想家の表現のうちに、 しばしば、人の思索はもうこれ以上登る事が出来まいと思われるような頂をみつける。・・・頂まで登りつめた言葉は、そこでほとんど意味を失うかと思われる程震えている。 絶望の表現ではないが絶望的に緊張している。無意味ではないが絶えず動揺して 意味を固定し難い。」

(小林秀雄『Xへの手紙』)


 前に書いた「メタファー的世界観」では、メタファーと概念の違いや起源、それらの能動性の差、どのように前者が具体的で後者が抽象的であるのか、真理と虚構の相対性、などについてその全体的な外観を比喩を使って漠然とだけしかし高い濃度で短い文章で示してみたが、この文章では、メタファーと概念の相対性、それらの起源の同一性、メタファーと遠近法(パースペクティヴ)の関係、ニーチェのいう‘解釈’とは何か、最終的には力への意志としての世界における‘解釈’、などについて、メタファーや遠近法ついて特に比喩の達人であるニーチェに関連させながら、出来るだけ細かく、前のように酷く絡み合った濃い感じではなく紐解いたかたちで、見てきたいと思う。ニーチェという特殊な文章を書く人の言説、しかもその文章の特殊性自体に関わるメタファーに関する言説を参考にすることは、ある意味、メタファーについての特殊な議論になってしまうかもしれないのだが、メタファーというもの自体が概念という一般性を与えるものとは対照的に特殊性を与えるものだということを考えると、一般的な概念的な方法でメタファーについて論じてみてもそれは概念の側からみたメタファーでしかないかもしれないのであって、だから、メタファーという特殊な言語用法について考察するにあたって、ニーチェという特殊な文体を用いる人がメタファーについてどう考えていたかを見るということは、ある意味ではかなり重要であると思う。ここではメタファーや遠近法について書くので、ニーチェ自身やニーチェの哲学の、人間的倫理的側面よりも、認識論的な側面をみることを中心にして書いていく。どちらにしてもニーチェという人物においては、人間的な面と認識論的な面が表裏一体にあって、どちらもかなりの頻度で干渉しあって哲学を構成しているので、メタファーについて書こうとおもっても、結局はニーチェの人間的特性が現れてしまうものである。ニーチェは人間的な面と認識論的な面が一体にあるだけではなく、ニーチェの文章というのは、形式と内容も一体であると思う。つまり形式から独立した主張内容を内容から独立した形式で表現しているというのではなく、形式と内容は互いに干渉しあっていて、相互依存してはじめてニーチェの文章は意味をなしているのである。とにかく、そういうニーチェがメタファーというものについてどう考えていたかを中心において、自分の個人的な考えも交えながら、メタファー、概念、遠近法などについて書いていきます。

ソクラテスとプラトンの邂逅

 ソクラテスというのは、かなりお喋りで好戦的な議論好きであり、饗宴の席で権威者を相手に飲めば飲むほど饒舌をふるいっていたような人物であったといわれることもある。当時、知者が「言論」を以って国政に参加することができたアテネにおいて、もの知りぶった学者やソフィスト、権威の座に属する者、専門家を相手に、相手が本当の知には至ってないことに気づいてそれを実際に知らしめるために、巧妙に論点を誘導しながらユーモア溢れる知性で議論を加速させて相手を議論で打ち負かせ、本当の知や精神の完成と相手の知識や技術がいかに無縁であるかを、劇的に知らしめてきて、議論に勝った暁には自分の信じる本質的な知を相手に諭してきた。そしてこれが重要なのだが、学者ぶった人には狡猾に食ってかかるものの、まだ教育の過程にある青年たちに対しては奢り高ぶらずに謙虚に自分の無知を装って見せて、若く無教養な青年が立脚しているところのものの知識のない地平に、自ら身を置き、青年と同じように考えながら、針金が糸を導くように、密接に心理も理性も絡ませながら議論を進め青年たちを教育していった。この青年たちと同じ地点に立脚しながら話を進めるという点と、権威を持つ者や学者・専門家を打ち負かすという点により、政治的野望を持っていたり反抗期であったり当時の知者たちに懐疑をもっていたりする若い青年たちから熱烈な支持を受け、何人かの弟子ができた。


そのうちの一人がかの偉大なるプラトンである。しかしプラトンというのは議論好きでおしゃべり好きなユーモアに飛んだソクラテスとは違い、本質的には学者肌の天性をもっていて、おそらく行動や議論で哲学の本来的なあり方を示したソクラテスとは違い、知の総合や体系化や著作化を希求する性質を多分に持っていた。ソクラテスというのは文字化され本にされた言葉を、誤解を生むという理由などで、忌み嫌っていた人物で、その場限りの現在進行形の口頭の言葉の投げ掛け合いを重要視していたし、当時のアテネの自然学に限界を感じ本当に専門家が物事の摂理を解っているのかを懐疑した。とにかくリアルタイムの議論を愛し、体系化され著作化された言葉を嫌っていた。一方でプラトンというのは、まさにギリシャ哲学であったり、その他も社会や政治のあり方であったりを、膨大な量の著作によって、現代まで続く人類の歴史に残した著述家であった。だが、それが対話編がほとんどを成していることを考えると、ソクラテスの強い影響下にあったことが伺えるし、なによりもプラトンの著作の主人公にはソクラテスが多い。知性の性質が多分に外交的で刹那的であったソクラテスに対し、プラトンは著作に生涯を費やしたこと以外にも、著作内容にイデアという永遠に普遍的なものが見られるように、プラトンの知性には内向的であり体系性や普遍性や超時間性が見られる。


真理を本当の意味において追求するという点を除けば二人は全く違う性質を持っていたのだが、プラトンはソクラテスにおいての何よりも人格やカリスマに傾倒し、おそらく総合的知力という面においては自分よりも劣るかもしれない師を、こよなく尊敬し続けた。ソクラテスの人間的カリスマとプラトンの圧倒的知力、前者の現場における逆説的な巧妙な議論の進め方と、後者の正しい知の総体を綜合して永遠に後代に残したいという願望は、対象的であるが、こういう真逆のタイプが師弟関係にあったからこそ、二人の哲学が今尚、輝かしく残っているのであろう。プラトンがいないソクラテスは実在不明の伝説として影を薄めていただろうし、ソクラテスがいないプラトンを想像してみると、ソクラテス以前のギリシャ哲学のように、対話編のない哲学体系としてギリシャ哲学の単なる一派としてそれほど大きな成果はあげていなかっただろう。


ファラデーは物理現象に対する時空的直観によって具体的に電気や磁力が空間に及ぼす作用を把握していたが数学的記述は苦手としていたようで、数学に長けた理論物理学者マックスウェルとの協働によって19世紀の物理学の主要な功績の一つである電磁場理論の学説を打ち立てた。ルナンによるとイエス・キリストは洗礼者ヨハネによって洗礼を受けただけでなく、その語り方を学んだといわれているが、洗礼者ヨハネと出会わなかったイエス・キリストを想定すれば、語り方を知らない宗教的奇人として単なる奇人伝に列せられていたのではないか、という考えもあり得ることである。このように、偉大だが性質の違う二人の邂逅というのは、歴史や学術史に大きな足跡を残すものだ。

ニーチェと陶酔

 西洋の精神史を地の底から反転させようとした革命的な哲学者。時代に徹底して立ち向かった戦闘的な反逆者。あらゆる文体、多彩な言葉遣いを自由自在に操る筋金入りの文章家。思想を表現したというよりも身を以って思想の源流というべきものを体現した思想家。表現したい思想内容によって自分の自我までをも風と戯れるように変幻自在に変えてしまう道化師。大地がその思想を語るための噴火口となった憤怒の野人。生に対して、今まで類を見ないような角度から鋭いメスを入れ、血腥くもその奥底までもを暴露してみせた暴露狂。得体の知れない誰も歩いたこともないようなところを途方もなく歩き続け、そこに記念碑を打ちたて、多くの人を当惑させながらも歴史を歩く人々の行進を無理やり曲げ、人間の歴史の道筋に新しい道を示してみせた、精神の冒険家。孤独に打ちひしがれながら本物の虚無を知り、その虚無という完全な白紙に、自分の血で言葉を記した詩人。どのように形容してみても、ニーチェという驚くべき人物は、その形容の枠からすり抜けてしまう。



 ニーチェは、「7歳という馬鹿げて早い時期に」(自伝)、人々が何を言おうと自分がその圏外であるということ、その言葉が自分の心には一切響かないということを、悟ってしまったような、極めて孤独な人物である。だいたい驚くべき人物(たとえばカントは驚くほど頭がよかっただろうけれど、驚くべき人物ではない。驚くべき人物とは、文字通り人を驚嘆させ、人をわくわくさせ、人を謎の迷宮に導くような、魅惑する力ときに恐怖させる力をもった人物のことである)は、生涯こういう孤独に悩まされる。しかしニーチェは、悩まない、むしろ多数と供にいることを嘆く。「孤独に悩むのは偉大さの反証」であるとまで雄雄しくしかも嘲笑的に断言し、孤独を誇りに思い、孤独と戯れるような高貴さが、人を偉大にするという。真似できない。その孤独のなかで外部のあらゆるものを批判し、攻撃しつくしたが、つまりニーチェは思想のうちでは極めて攻撃的であったが、もちろん実際に個人を攻撃するようなことはない。既成の思想、不定の価値のみを攻撃するのであって、狂気直前の混乱した自伝の(後に編集者によって取り除かれた)草稿などを除いて、特定の人をめったに風刺したりはしない。そしてその不定の価値に対する攻撃とは、人類の生を高めるために行っているのである。