2023年10月6日金曜日

集約としての抽象概念の効能

哲学には抽象的な言葉がよく出てくる。企業においては、「抽象的」というのは「曖昧」「漠然としている」といった意味でネガティブな意味で使われることも多い。では、哲学というのは曖昧なものなのか。決してそうではなく、非常に厳密な思考が要求される分野である。抽象的思考に慣れていない、あるいは抽象とは何なのかを一切考えたことのないような、庶民的な尺度から見ると抽象概念は曖昧に思えるだけであって、抽象が意味するところは決して曖昧とか漠然という様態ではなく、元来意味するところは「様々な具体から共通点を抜き出すこと」である。


Wikipedia「抽象化」によると

「思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は捨て去る方法である。」


『心理学辞典』によると

「個々の事物に含まれている諸特性のうち,ある規準に関して共通するいくつかの特性だけが抽象された結果として形成される心的過程」


たとえば、「犬」「猫」「ネズミ」「熊」の上位概念は「哺乳類」であり、それは犬、猫、ネズミ、ゾウ、熊の共通点を抜き出して纏めてられた概念であるといえる。生物学においてはもちろん、この概念を形成するにあたって、無数の具体的な動物への観察や解剖などが為されるのであるが、それは生物学という学問を成立させるにあたって取られた科学的手法であって、一般の子供が「哺乳類」という概念を哺乳類という言葉を知らずとも自然に脳内に形成する過程は、抽象である。哺乳類より上位概念にあたる「動物」に含まれるところの、目、口があり、動き、食べるなどの特徴に照らし合わせて対象の哺乳類の具体例をとらえつつ、哺乳類を他の動物と分かつ特徴であるところの、四本の手足があり、毛があって、体温が高い、などを見分け、次第に哺乳類という概念が子供の中に形成される。この過程は抽象である。抽象という行為は子供も当たり前に行っていることであり、物事を曖昧にするのではなく、むしろ物事を明確にカテゴライズすることにつながる思考方法である。


抽象概念が曖昧だと思われるのは、抽象概念そのものの性質によるのではなく、抽象概念にあまり親しんでいない人たちがそれを適切に理解できないことからくる受け手側の知力の欠如、あるいは本来具体例を出すべき状況や文脈において一般例やその性質を挙げてしまう使い手の語法の不適切さから来ているものであり、前述のように本来は抽象という行為には、多様な事象が膨大な量で動きながら存在している人間界・自然界における事象群を明確にカテゴライズする効果がある。


この抽象の過程で、個々の事物や物事に含まれる諸性質の共通点が抜き出され、より抽象的な概念が形作られていくわけであるが、それはつまり裏返せば、抽象概念は数多くの個々の事物に当てはまる性質を述べている、ということを意味している。


優れた抽象概念は、同時に多数の物事を意味する。一方、悪い抽象概念は現実の事柄を意味しない。具体的事物のうちの性質がある基準に則って共通点が抜き出され抽象概念ができるわけであるが、その概念および同じように別のカテゴリーにおいて作られたその他の諸概念から共通点が抜き出され相違点が切り捨てられて、さらに抽象性の高い概念が生まれる、その過程において、共通点を抜き出す基準が無意味なものであったり現実的要求に即していないものであったりすれば、抽象性が高まっていくについれて、現実には無意味なものであるか、現実的感覚からは理解できない曖昧なものになるかであろう。そのような悪い抽象化を繰り返せば、もはやその抽象概念は何物をも意味しない空虚なものとなってしまう。しかしそれはもちろん悪い抽象化のことであって、優れた抽象化はその逆で、一つの概念・言葉で無数の物事を同時に意味することになるのである。


優れた抽象化とは何か。それは具体例をしっかりがしっかり観察された上で形成された概念を作ること、あるいはある抽象概念を形成するにあたってそのもととなる事象ももともと抽象概念の意味するところであった場合には、具体例をともなっていなくとも少なくとも現実的要求に即した諸性質が洞察された上で形成された概念を作ること、であろうといえる。そうやって形成された抽象概念というのは、具体的事象の諸々の性質やその関係を意味するものであるから、現実に適用しやすいものとなり、その適用において現実における諸事象の性質を一語で同時に多数意味するだろう。


人類を人類をたらしめた最も大きな要因のひとつとして、抽象化を挙げることはできるだろう。もちろん動物も、獲物か天敵かを見分けるにおいて、ある程度は抽象化を経た概念を脳内に浮かべて判断しているであろうが、生存に関わる限定された範囲でしか抽象化は為されず、たとえば水が自分にも植物にも必要なものと理解していないかもしれない。水のあらゆる性質や効用を抽象したうえで、科学は水の一般的特性を解明し、それが優れた抽象概念を生み出していったことから、自然界や人間界の多数の事象群に対して水に関する概念を適用することができ、科学技術により治水が可能になり、水に関する様々な製品、水の様々な利用方法が考案された。水といった即物的なものだけではなく、人の心に関することや、社会活動に関することも同様であり、高度な抽象化が集積し、優れた抽象概念が現実に適用されていったことから、人間の世界は非常に生産的なものになり、コミュニケーション可能なものになり、多様な物事が存在するなかで社会的営為を可能にしてきた。


生産性、社会性だけでなく、もちろん精神性に関する領域も抽象化を経た思考によって発展させられてきた。というより、この精神性に関する領域こそ最も抽象的思考が発揮される分野である。「真」「善」「美」「愛」などの極めて抽象度の高い概念のうち人類が目標とすべき理念といえるべきものは、その抽象度の高さに反して具体的な実感を人の心理に与えるものではあるが、それは、その概念およびその意味が形成されるにあたって、様々な時代の膨大な数の人々の経験のうちで人々が物事の良いものを抽出して考え、考えて生まれた概念や認識を現実に適用して善行を為し、それらが他者に伝わって模倣されつつ、作家や学者がそれらを取り上げて抽象しつつ意味付けしていき、というのを繰り返されて時代を貫きながら形成されていった理念だからである。


もちろんプラトンのいうように「真」「善」「美」「愛」は人間以前にあるイデアであったかもしれない。しかしそのイデアが、私達に心理的に深い実感を以って体験されるのは、人類の歴史的経験からそれらのイデアが肉付けされ、それらが言葉で伝えられ、良い具体例や良い情緒を伴って世界に流通しているということ、および世界において個人が生きていく中で良いものを体感し記憶していった個人的歴史から、それらのイデア的な抽象概念が強い心理的感覚を齎すものになっているのである。抽象は無数の具体的経験の結晶である。「愛」についていえば、仮にプラトンのいうように「愛」がイデアであり人類以前にあった普遍的な概念であったとしても、共同体によって愛という概念の体験のされかたは異なるだろう。愛が正しい形で行われ、正しく評価され、正しく抽象化され、正しい言葉で流通している共同体においては、愛はより具体的なものであり、愛について考えることは現実的な思考であるといえる一方で、全く愛が存在しない共同体を想定するなら、そこで考える愛というのは架空のものに近くなるだろう。抽象概念が正しく形成されるかどうかによって、その抽象概念の現実性や意義は全く変わってくる。前者においては、理念にまで高まった抽象概念が、倫理として価値のあるものであるだけでなく、現実のあらゆる事柄に適応しうるものとなり、それによってその理念が実行しやすいものとなり、その理念によってさらにその共同体は良くなっていくのである。


「真」「善」「美」「愛」のようなイデア的な理念でありながら、人類の歴史を貫通しながら膨大な経験を内包しつつ形成されていった抽象概念だけではなく、一般的に、抽象概念においてはそのようなことが言える。つまり抽象概念は歴史的にも個々人の経験の面からも、様々なものを集約しているのである。前述のように抽象において「様々な具体から共通点を抜き出すこと」によって「一つの概念・言葉で無数の物事を同時に意味することになる」という機序からいってもちろんそうではあるが、それが時間的にも空間的にも幅広く行われ続けていった人間の世界の歴史、あるいは歴史というスケールではなくとも特定のカテゴリーや特定の個人においての諸経験およびそれに対する思考の集積によって、抽象概念においては様々な性質が集局していると言える。正しく形成された抽象概念は現実への適用度が高く、つまり個々の事柄を説明できるものであり、それでありながら多数の事柄が集約されたものであるとしたら、個々の事柄を強度に関連付け意味付けることになる。ある特定の事柄について考えることが、同時に多数の他の事柄について考えることとなり、諸事象間の関連を発見することに繋がるし、対象の事柄の本質を見抜くことにもつながる。正しい抽象化を経て作られた正しい抽象概念を適切な語法で使用することを個々の事柄を叙述することに含ませることによって、個々の事柄間の関係性は明らかになるし、本質は浮かび上がってくるし、少し離れた他のことにも通用する説明を為すことができ、一つの事柄をみて様々なことを感取することになる。


社会活動、日常生活、精神活動、あらゆる面においてこれは重要な効能をもつことである。抽象概念によって他のこととの関係性を把握しやすくなることから、ひとつの作業に幅を持たせることになるし、別の作業に移行する際に役に立つし、諸々の作業の共通点を見出したことから新しい作業を考案する手立てともなる。作業や行為においてだけでなく、五感の解釈や思考においてもそうであり、ひとつひとつの事象や経験がより有意義に立ち現れることにつながることから、生きること全体がより意味を持つことになる。敬虔なキリスト教徒は日常で体験する個々の出来事に神の愛を感じ生き生きとした精神で生活を送ることができるであろうが、特定の信仰を持たずとも、良い抽象化を経て作られた概念を所有することによって、個々の出来事の意味は増していくだろう。博識な科学者は個々の現象のメカニズムを把握するだろうが、科学者でなくとも、物事の機序の一般性を把握していれば、眼前にある事象だけでなく別の事象にも適合する説明をすることができ、物事をより実用的にあるいは有意義に解釈・運用できるだろう。とにかく倫理においても社会活動においても適切な抽象概念というのは大きな価値や効能を持っている。抽象化というのは機械的で非現実的な思考方法なのではなく、非常に人間的な思考方法であり、人間が人間として生きるために必要なものである。

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